*********************************************
*2006/1/22 「情熱大陸」 report.4*
篠原涼子 マネージャー ナレーター
ナ:1973年、群馬県の生まれ。
3人兄弟の末っ子だった。
3歳のとき事故で母親を失う。
父親は苦労して子供を育て上げた。
少女時代には学校でイジメにあった時期もあるという。
どんなときも周囲への気配りを忘れない彼女の性格はそのときに培われたものだろうか?
撮影が終わった夜・・・
涼:ご飯食べに行こうかと思って。
マ:私同行できなくて・・・
涼:だから2人だけになっちゃうの。
ナ:ひょっとすると朝カメラを嫌ったことをずっと気にかけてたのかもしれない。
勝手気ままな猫ではなく心優しい犬のよう。
涼:お疲れ様でした~。
(at 焼肉屋)
ナ:差し向かい、言葉と言葉の隙間を埋めてくれるのはいつも篠原のほうだった。
16年前初めて上京したころの話。
涼:群馬はね、東京に近い。どっちかっていうと。
群馬は東京に近いの。
で、「~やってかでさ」とか「この間誰々にいきやったんさ」とか。
東京上京したときにそんな喋り方で、なおかつぶっきら棒な性格で。早口だし。
みんなケンカ売ってんじゃないかって思ったみたいで。
1回みんなに無視されたの。定番の。
無視されて、「コレは東京で生きていくうえでは無視とか面倒くさいって思って。
仲良くならなきゃダメだし、友達まるっきりいないから。
でなんとなく「そうなの?」とかちょっとオブラートに包んだ言葉にしたりして、
言いたいこともちょっとオブラートに包んで言ってみたりとか。
直接直球投げで言うんじゃなくて。
っていうのをちょっと嫌われたりしてたから。
直そうと思って直したら周りがだんだん元にもどってきた。
悩んでる時間家に帰って持ち帰りたくないからその場で聞いちゃう。
「何がいけないのか言って」って。
ナ:いつの間にか自分も父親が妻を亡くした年齢に近づいていた。
歳を重ねなければわからないことがある。
涼:父親に対しての尊敬はすごい強いですよね。
やっぱり男がまだ若いのに、他に女性も作らずに子供3人のこと必死でやって。
お弁当作ったり縫い物したりね。
愛情をちゃんと受けて育ってきたなって思うから、「母親がいないから可哀想」とかって自分で自分を思ったことないし。
悲劇のヒロインになったことはないですね。
ナ:店を出ると、またケータイ。微かに聞き取れたのは猫のように甘える声だった。
側にいるこちらが困るくらい彼女には気取りがない。
←「情熱大陸」 report.3 「情熱大陸」 report.5→
*********************************************