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*2002/1/8 「とくダネ!」 report.2*
篠原涼子 ナレーター インタビュアー 小倉智昭 佐々木アナ 笠井アナ 木の実ナナ
ナ:気取りがない自然体のキャラクター。
篠原涼子が恋愛、そして今だから明かせる爆笑マル秘エピソードを語った。
小倉s:篠原涼子さんってなかなか素敵な女性だなぁと思いつつ、一方では終の棲家を考える私は一体何なんだと思うんですけども。
プレゼンターは特ダネ報部のお仲間です。
イ:「私の履歴書」、今年も華々しくスタートでございますが、篠原涼子さん。
歌手で女優さんでもあるんですけども、ご自分でもおっしゃってましたけど今年で芸能生活13年目ということなんですね。
ですごくお父さんっ子で、お父さんが小さいころの彼女を見て「これはなかなかいいぞ。女優か歌手でもすれば」なーんて思ったらしいんですけども。
小さいころから中森明菜さんに憧れていたんだそうです。
そして芸能事務所が決まると高校をスパッと辞めて東京に来て一人暮らし。
それから女の子だけの「東京パフォーマンスドール」というアイドルグループに入ったんですね。
で女の子ばっかですからさまざまなことがあった。
このときのイジメも大変だったということも喋ってくださったんですけども。
私もドラマとか見てまして「自然なお嬢さんだなー」と思ってたんですけども、ホントにこんなに赤裸々にさまざまなことを喋ってくださるとも思ってませんでした。
今年の1回目の「私の履歴書」は篠原涼子さんです。
涼:私は1人で、ソロでデビューがしたかったのになんか知らないうちに1人・2人・3人ってどんどん増えていくんですよ。
「話が違う!」とか思って。
でそのうち7人になっちゃって、で「東京パフォーマンスドール」って名前がついて、そこから7人グループでデビューって形になっちゃって。
そのときはテレビとかは宣伝しないで、「この7人の女の子たちをどこまで有名にさせるか」ってのがコンセプトらしいんですね。
ナ:16歳のとき念願のデビューを果たした篠原涼子。
しかし事務所の方針で活動の中心はライブハウス。
そして彼女を悩ませたのが女性アイドルグループが抱えるある問題だった。
涼:たとえば写真撮影があって「みんなでメンバーでCDのジャケットの撮影をします」ってなった時に「誰が真ん中を取るか」ってのが始まるんですよ。
目がギョロギョロして「あたしよ、あたし!」みたいなスタッフにレーザー光線!みたいなのがすごいの。
でその1人がセンターってなるとみんなで白い目で「今日わかってるよね」みたいな(苦)
心のなかで「あの子のこと無視しようね」って必ずリーダーがいるんですよ。
でもそれ必ずみんな順番っこに回ってくるんですよ、無視されるのが。
でもそれはそれで楽しかったんですけど、今思えば。
みんなと会ったりすると「あんとき面白かったよね、無視のし合いとかしてさ」っていうそういうくだらない話になれるから。
そのときは必死でほんとに「憎たらしっ」って思ったりとかしましたけど。
イ:「今に見ておれ」とかね。
涼:そうそう(笑)
涼:で意味のわかんない状況で、テレビも出れないしずっとライブハウスで歌を歌ってることしかできなくて。
お客さんも3人くらいしか来なかったりとか。
何年もやってるとだんだん嫌になってきて。
そのときにすごい気持ちが揺れ動いて「群馬に帰っちゃおうかな」とかいろんなことがありましたけど。
ナ:当時の生活はメンバーの1人と6畳一間のアパート暮らし。
厳しい下済み生活が続く中、篠原はアイドルでありながら寿司屋でアルバイトを始める。
涼:ビールとかをお客さんに注いであげると、お客さんによるんですけど、「このお客さんよさそうだな」ってビールお酌すると「5千円あげるよ」とか言って5千円もらったりとか(笑)
あと1番よかったのが、これを言うとみんな引くかもしれないんだけど、手をつけてないお寿司、余ったやつ。
それをバクバク女将さんにバレないように食べてたんですよ(苦)
イ:だってそのころって結構食べるもんね。
涼:すごい食べてましたね。動いてたから。
ナ:昼はアイドル、夜はアルバイトという2重生活。
努力は次第に実り、東京パフォーマンスドールは武道館のライブを実現するなど人気グループへと成長する。
中でも篠原の才能にいち早く目をつけていたのがあの人物だった。
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